パニック障害で人生右肩下がりだったけど少しずつ上がってまいりました

私自身がパニック障害でHSPです。約30年カウンセラーをしてきました。現在は退職しFIRE生活をし、自分の人生を取り戻し、自分を雑にしない練習をしています。

パニック障害、昔を思いだし病む。

ここ数日、ほとんど何もできなかった。

胃腸の調子が悪くなり、楽しみにしていた旅行も取りやめた。食欲もなく、ただ部屋で横になっている時間が続いた。

せっかくFIREして自由な時間を手に入れたのに、なぜこんなことになったのか。

きっかけは、両親の貯金がゼロだと知ったことだった。

私の実家は、決して貧しい家庭ではなかった。父は会社を経営し、母は専業主婦。父の収入は、今考えても驚くほどの金額だった。

だから、両親に貯金がないなど想像したこともなかった。

少し前、実家のエアコンを買い替えることになった。ところが、注文した商品が届かない。私が問い合わせると、ローンの審査に通らなかったという。

「ローン? なんで?」

金利手数料が無料でも、現金で買えばいいのに。私はそんなふうに笑っていた。

ところが、海外から帰国した姉が現金一括で購入しますからすぐに取り付けてくれと連絡した際、母は「そんなお金はない」と言っていると連絡があった。

そして家族で集まった日、初めて知った。

両親の貯金は、本当にゼロだった。

「いったい、何に使ったん?」

母は、普通に生活していたらなくなったと言う。父も、あれだけ稼いでいたのにどうしてお金がないのかと驚いていた。

母はとてもおおらかな人だ。人の悪口を言わず、私が知る中でも本当に穏やかな人だと思う。

ただ、その穏やかさの裏に、買い物などでストレスを解消する一面があったのだろうか。あるいは、長年信仰してきた宗教への献金があったのだろうか。

どちらも確証はない。

ただ、子どもの頃、決して裕福ではない人が多額の献金をしたと報告し、周囲から大きな拍手を受けていた光景を今でも覚えている。

当時の私は、そんなお金があるなら、まず自分の家を直したらいいのにと思っていた。

もっとも、今さら原因を追及したところで、お金が戻ってくるわけではない。

問題はこれからだ。

実家は、昔から借りている土地に建つ古い家だ。将来、家を解体して土地を返す必要があると、家族では何十年も前から考えていた。

それに加えて、葬儀や介護にもお金がかかる。

ひとまず500万円ほどを目安に準備しようという話になり、家族で相談して、月1万円ずつでも積み立てを始めることにした。

私は以前、相談員として、人の悩みを聞き、生活やお金の問題を整理する仕事をしていた。少しずつ自分の問題に向き合い、生活を立て直していく人たちも見てきた。

だからこそ、親であっても、自分たちの問題として向き合ってほしいと思った。

 FIREした私には、500万円を支払うだけの蓄えはある。それなら払ってしまえばいい。そう考えることもできる。

 家族にFIREしたことは言っていない。精神的に辛くて退職した。でもバイトで十分やっていける収入はあるとだけ。

でも、私が怖かったのは、500万円という金額ではなかった。

「これから両親の掛かるお金は、すべて私ののFIREから出さねばならない。努力や、我慢でためたお金を。私の問題でもないのになぜ?」

その思いが、昔の記憶を一気によみがえらせた。

かつて私は、自分の意思だけではどうにもならないお金の問題を抱え、返済のために何年も働き続けた。

お金がないこと自体もつらい。

 

 でも、それ以上につらかったのは、返済するために、心身が限界でも嫌な環境で働き続けなければならなかったことだ。

精神的に追い詰められようが、体調を崩そうが、請求は待ってくれない。

パニック障害になっても、返済がなくなるわけではなかった。思い出したくない嫌な思い出。

 

 ようやくその生活を抜け出し、長い時間をかけてお金を貯め、FIREすることができた。

今はありがたいことに、無理のない条件で仕事もできている。その収入で旅行に行ったり、今までできなかったことを楽しんだり。

ようやく、自分のために生きられるようになった。

だからこそ、今後の費用が高額になればなるほど、FIREの貯蓄が減る。また働かなければならなくなるかも。その時間をまた失うことが怖い。

 

親を見捨てたいわけではない。家族だから助けたい気持ちもある。

でも、助けられる人がいるから何とかなる、という考え方だけは違うと思う。

実際に母は「私らはこの宗教で守られているだからなんとかなるでしょ」と言っていた。全く根拠のない発言。

だから私は宗教の考えは取り入れるが、都合の良い叶うということは、一切信じていない。

今回、私がお金で解決すれば母は「ほら、私たちは守られている」と言うのだろう。私の努力は一切関係がないのだ。

カウンセラー時代に一番困難であったのは、宗教絡みの精神疾患者であった。その事はまた機会があればブログに載せたい。

 

でも、今度こそ、自分の人生も大切にしたい。

今回、胃腸の不調が再び強くなり、食事もほとんど喉を通らなくなった。

あの頃の苦しさは、もう終わったはずだった。

ところが、お金の問題をきっかけに、当時の恐怖がこんなにも鮮明によみがえるとは思わなかった。

人間の心というのは、本当に不思議なものだ。

この数日、皆さんのブログにもほとんどお邪魔できていない。

今日もまだ、文章を読んで頭に入れる力がなかなか戻ってこない。

それでも、今の気持ちを少しずつ言葉にすることはできた。

だから今日は、久しぶりにこうして書いている。

せっかく手に入れた自由な人生。

過去の苦しさに、もう一度奪われたくない。

お金の問題は、これから家族で一つずつ考えていけばいい。

今度こそ、自分一人ですべてを背負わなくてもいい。

そう自分に言い聞かせながら、また少しずつ、いつもの生活に戻っていきたいと思う。

気分転換にと、いつものうどんを食べに行きましたが、過去の記憶が蘇り、味はしませんでした。

パニック障害、ひとつの縁が完全に終わる。

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今日は、大阪城ホールで藤井フミヤのライブがある。

数ヶ月前、30年近く親友だと思っていた友人に強引に誘われ、一緒に行く約束をしていた。

今、そのチケットが分配されたとメールがきた。

 

このブログで何回かでてきた、元親友である。

 大学時代に出会った彼は、歌手になってスーパースターになると夢を語っていた。私はその夢を一度も笑ったことがない。新しい曲ができたと聞けば集まって聴き、彼が小さな舞台で歌ったときも、その挑戦を否定することはなかった。

けれど、振り返ってみると、私は彼の夢を30年近く聞いてきたのに、彼は私の夢をどれほど聞いてくれただろう。

私が嬉しいときに一緒に喜んでくれただろうか。つらいときに寄り添ってくれただろうか。それはなかった。

 FIREという自分なりの目標を実現したときも、返ってきたのは祝福ではなく、疑いや心ない言葉だった。最後まで「おめでとう」は聞けなかった。

二ヶ月ほど前、もう親友ではないと伝えた。最後に自分の思いを送ったが、返事はなかった。そして連絡先を消した。

 

今日、彼の隣の席は空いたままだろう。

 

その席を見て何を思うのかは、もう私には関係のないことだ。

今になって気づく。私は最近の彼と付き合っていたのではなく、30年前に出会った、優しかった彼との思い出を大切にしていたのだと思う。

これからは、長い付き合いだからという理由だけで、人との縁を無理につなぎ止めることはしない。

会いたい人には会う。縁があれば、また自然につながる。

最近はライブに行くことも増えたけれど、今日の藤井フミヤには行かない。

そして今日、長く心に残っていた嫌な人間関係にも、ようやく区切りがつく。

少し寂しい。でも、それ以上に、もう自由でいいと思っている。

さあ、今から実費契約の患者さんのところに行ってきます。今日は夕食を一緒に食べる予定。

最近はまた、パスタにハマっています。

 

今月はコーネリアス、斉藤由貴、神戸で薬師丸ひろ子さんのコンサートに行ってきました。

今月はYOASOBIも行くことに。昔の思い出を聴くのもよいけれど、今乗りに乗っている人たちのLIVEにも行こうと思いました。

京セラドームですが、自転車で行けるので今回も電動自転車で行く予定です。開演時間を間違えないように。

パニック障害、韓国へ行き、日本人は本当に優しい民族なのか考える。

 今回、韓国に行く予定は全くなかった。
以前の仕事関係の知人から前々から誘われていて、今回は人数が多く、何度も韓国に行っている私が一緒なら助かると言われていた。
いろいろあって結局行くことになったのだけど、病院の診察が長引いた為、出発はかなりギリギリになった。
韓国に着いた頃には、もう夜中に近かった。
まあ、それでも行ってしまえば楽しい。
韓国は24時間営業が多く、美味しいものを食べ、カフェに行ったり、好きなことをして過ごした。
私自身、韓国には何度も来ているので、さすがに慣れてきた。
NAVERマップという便利なアプリがあるし、電車の乗り方もだいたい分かる。
昔みたいに「ここどこなんだろう?」と迷うこともかなり減った。


ただ、今回ちょっと気になったのが電車だった。
韓国の電車って、めちゃくちゃ容赦なく扉が閉まる。
日本だったら、まだ乗ろうとしている人がいたら車掌さんがもう一度扉を開けてくれたりする。
韓国では、そんなことを期待して横でおとなしく待っていたら、本当に乗れないことがある。
私は日本での癖で、まず降りる人を待つ。
ところが向こうでは、人がまだ降りている途中なのにどんどん乗ってくる人もいる。
最初は「なんでそんなに慌てるんやろ」と思っていた。
でも、今回、容赦なく私の前でドアが閉まった。
ああ、のんびり待ってたら乗られへんのか。
席取りもなかなかすごかった。
一度、私が扉の一番前にいて、電車が来たら目の前に10席くらい空いていたことがあった。
これなら余裕で座れるなと思っていたら、後ろから来た人たちが次々と私を追い越して席を取っていく。
気がついたら全部埋まっていた。「え、一番前に並んでたのに?」皆が必死過ぎて笑ってしまった。
まあ私は、電車では座るより立っている方が気楽なこともあるので別にいいのだけど、若い人だから遠慮するとか、お年寄りだからどうするとか、そういう感じでもない。
みんな席を見つけたら行く。そこは日本とずいぶん違うなと思った。
それで、日本に帰ってきたときはやっぱり思った。
日本ってきっちりしてるなあ、と。
列には並ぶし、電車では降りる人を先にする。公共の場所では、できるだけ人に迷惑をかけないようにする。
そういうところはやっぱり日本のいいところだと思う。
でも今回、なぜかそこで引っかかった。


じゃあ日本人って、本当にそんなに優しい人たちなんだろうか。


YouTubeなんかを見ていると、外国人が日本に来て「日本人は親切だ」「礼儀正しい」「日本は素晴らしい」と驚いている動画がたくさん出てくる。
見ていたら気分もいい。
私も日本人なので、悪い気はしない。でも、そんなに日本人って特別なんかな?
だって私は、その日本の社会で、人間関係のストレスで体調を崩して、心療内科に通うようになった人間だから。
もちろん病気の原因なんて一つではないし、全部を人のせいにするつもりもない。
ただ、働いていた頃を思い出すと、やっぱり人に疲れたことは多かった。
医療や福祉の世界なんて、人の気持ちや病気について普通の人より勉強している人がたくさんいる。
カウンセリングや認知症について勉強している人だっている。
それでも、人を傷つける。
そして人について勉強してきた本人が、うつになったり心を病んだりする。
なんだか変な話だと思う。
仕事をしていた頃、「認知症になっても安心して暮らせる町」とか「地域で支え合う社会」とか、そんな立派な言葉を何度も見てきた。
でも実際に困っている人のことで地域や行政に相談すると、話は全然違うことがあった。
「何かあったら責任取れるんですか。こっちも困る。今日入院させてくださいよ!」
そんなことばかり言われていた。
そのたびに思った。
だったら、ホームページにあんな立派なこと書くなよ、と。「地域のつながりが大切です、みんなで支え合いましょう」
言葉にすればすごく綺麗だ。
でも、本当に困っている人が目の前に来たときに、それができる人は本当に少ない。
そんな経験を何度もしてきた。
だから韓国の電車で「マナー悪いなあ」と思いながら、妙なことを考えてしまった。
日本人はルールを守る。
これは確かだと思う。
でも、ルールを守ることと、人に優しいことって同じなんだろうか。
たぶん違う。
日本人は、表立って揉めることは少ない。
電車の中で誰か気に入らない人がいても、大声で文句を言ったりする人はそれほど多くない。
でも、何も思っていないわけではない。
黙って睨む。距離を取る。陰でコソコソ言う。集団の中で、なんとなくその人だけ居づらくする。
言葉にはしないけれど、「あなたのこと気に入ってませんよ」という空気だけはしっかり、キッチリ伝えてきやがる。
そういう怖さは、日本にはあるような気がする。
海外で暮らしている姉から以前、「向こうなら嫌な人がいたら、その人から離れる。気がついたらその人の周りから人がいなくなる。でも日本は、同じ集団の中にいながら圧をかけ続けることがある」と聞いたことがある。
もちろん、それも国によって違うだろうし、全員がそうだとは思わない。
でも、なんとなく分かる気がした。
そう考えると、韓国人だからどう、中国人だからどう、日本人だからどう、と簡単に分けるのも違うのかなと思う。
今回の韓国でも、電車では「なんやねん。お前ら!嘘やろ!」と思うことが何度かあった。
でも店に入れば、ものすごく愛想のいい人が多い。
頼んでもいないものを「サービス」と言って出してくれたりする。
ニコニコしながら世話を焼いてくれる。
以前仕事で会った韓国人や中国人の研修生にも、本当にいい人がいた。
反対に、日本人でも二度と関わりたくないと思った人はいる。
結局、国籍で人間を説明するのは無理なんだろう。
日本人は素晴らしい。韓国人、中国人はこうだ。そう決めてしまえば、世界は分かりやすくなる。
でも、分かりやすくなった代わりに、自分の見える世界はものすごく狭くなる気がする。
日本に帰ってきて、きちんと列に並んでいる人たちを見るとホッとする。
やっぱり日本はいいなとも思う。
それでいいと思う。
サッカーの日本代表が試合をしていたら、日本を応援する。それも当たり前だと思う。
でも、そこから「だから日本人は他の国の人より優れている」とまで考える必要はない。
日本人にも優しい人はいるし、冷たい人もいる。
韓国にも中国にも、それ以外の国にも同じようにいる。
たぶん、それだけの話なんだろう。
理不尽なことなんて、世界中どこへ行ってもあるのかもしれない。
そんなことを考えながら帰ってきた韓国旅行だったけれど、旅行そのものはかなり楽しかった。
食べ物は相変わらず美味しい。

ただし、韓国はもう全然安くない。
円安もウォン高もあって、昔みたいに「韓国に行ったら安く遊べる」という感じはほとんどなくなった。
普通に食べたら1,000円なんてすぐ超える。
「韓国、高っ」
何度かそう思った。
日本、大丈夫か。
そんなことまで考えてしまう。
それでも料理は美味しいし、「もう食べられへん」と言っているのにまだ出てくるくらい量も多い。
店の人も親切だった。
そして、盛り上がった結果、
「11月も行こう」
という話になった。
いや、私は11月か12月に九州の復興支援も兼ねて奄美大島へ行こうと思っているのだけど。
そう言ったはずなのに、なぜか韓国行きまで決まってしまった。
しかも、もう予約した。
次はみんなで「ヌタウナギ」を食べるらしい。
写真を見た。
なかなかの生き物だった。
これを最初に食べようと思った人はすごい。
私は海鮮が好きなので、一度くらい食べてみようと思っている。
韓国へ行って、電車で腹を立てて、日本人について考えて、帰ってきて、また韓国を予約する。
我ながら何をしているんだと思う。
でも、案外これくらいでいいのかもしれない。
この国はこう。
この人たちはこう。
世の中はこういうもの。
そんなふうに全部決めてしまわない。
嫌なことがあれば腹も立つし、いい人に会えば嬉しい。
行ってみて、見てみて、そのとき自分が感じたことを考える。
そして面白そうだったら、また行く。
今の私には、それくらいがちょうどいい。

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一緒に行った若手の看護師が、韓国で流行っていると、スマホケースと中のアクセサリーを買い、作ってくれた。

可愛いーでしょー。と言っていたが、おっさんにこれを着ける勇気はないぞ!

今回は拳銃も何丁か撃ちました。この銃は日本の警察と同類の銃です。腹立つ奴の名前を叫びながら撃つと標的に当たる当たる!

前々回ハゲチャビンのブログを書きました。今回「実は私もハゲチャビン」と言えたら面白かったのですが、生えてます。

パニック障害、徳永英明のコンサートに急ぐがまさかの...途中で中止に。

 昨日は喫茶店でハゲチャビンに遭遇し、なんとも後味の悪い一日になった。
だから今日は平和に家で過ごそうと思っていた。
朝は近所の消防署の車の音で目が覚めたものの、特に急ぐ予定もない。ゆっくり朝ごはんを食べてテレビを見て過ごした。
予定といえば、今日はフェスティバルホールで徳永英明のコンサートがあるくらい。
高校時代によく聴いていたし、カラオケでも歌った。特別ファンというわけではないけれど、一度あの歌声を生で聴いてみたいと思って、たまたま取れた指定席だった。
僕の頭の中では18時開演。それまでは十分に時間がある。
 昨日のハゲチャビン事件もあったので、今日は外でコーヒーを飲むのはやめて、家で久しぶりにコーヒーを淹れた。韓国で買って冷凍していたパンを解凍し、テレビを見たり、近所のコンビニへ行ったり。
しかし平和である。
15時半を過ぎて少し眠くなってきた。
「18時までまだ時間あるし、ちょっと昼寝しよっと」
パジャマに着替えた。
そして、寝る前に、何となくチケットを確認する。
えっ?開場15時。ずいぶん早いなー。ジャニーズのドーム公演なんかだったら、グッズを買う人も多いし、何時間も前から開場するのは分かる。
でも徳永英明て、グッズ販売が人気なのかな?そんなことを思いながら、そのチケットの続きを見る。

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開演16時。ん?もう一度見る。16時。
時計を見る。15時40分。
あと20分。
え!18時ちゃうやん!
大急ぎで着替え直して家を飛び出した。電車では間に合わない。
久しぶりに電動自転車を出したら、よりによってタイヤの空気が少ない。でも、そんなことを言っている場合ではない。
とにかく漕いだ。電動自転車なのに必死で漕ぎまくった。
フェスティバルホールに到着したのが開演5分前。
ところがフェスティバルホールは、そこから長いエスカレーターを上がらなければならない。
しかも今回の席は3階のほぼ一番後ろ。それも端っこ。トイレにも行かず、なんとか開演時間ちょうどに着席した。
足はガクガクしていた。本当にガクガク。汗は止まらず、呼吸も荒い。

しかも3階から見下ろすと、なかなか怖い。そんな状態でコンサートが始まった。

1曲目は「レイニー ブルー」。懐かしい。
やっぱり歌うまいなあと思ったけれど、少し声がかすれている。
僕はCDでしか聴いたことがなかったので、「生で聴いたらこんな感じなんかな。これもライブの醍醐味か」と思っていた。
ところが2曲目、3曲目と進んでも、やっぱり声がかすれている。
知っている曲でも、伸ばすところで声が伸びない。「やっぱり年齢もあるし、全盛期とは声も変わるんかな」
と思っていたら、客席から、「トクちゃん、頑張れー!」という声。
頑張れ?なんで頑張れ?
と思っていたら、その曲が終わったところで急に突然幕が下りた。

「ただいま演奏を中止しております。そのままでお待ちください」
皆「徳ちゃん大丈夫?徳ちゃーん」とザワザワしだした。

しばらくして、
「本人の声の調子が悪いため、本日の公演は中止します」とのアナウンス。
やっぱり調子悪かったんや。
最後に徳永英明さん本人が声だけで「また帰ってきます」と話していた。
お客さんも「仕方ないよ」という優しい雰囲気。
もちろん僕もそう思う。無理して悪化するより、また元気な時に歌ってくれたらいい。
ただ……。
ほんの少し前までパジャマ姿で昼寝しようとしていた僕は、大慌てで着替え、空気の少ない電動自転車を全力で漕ぎ、フェスティバルホールの3階まで上がり、汗でハンカチをベトベトにして、さっき来て、もう帰る。まだ足がガクガクしたままに。
まあ最近運動不足だったし、今日は徳永英明を聴きに来たのではなく、フェスティバルホールまで有酸素運動をしに来たと思うことにしよう。
帰り際には、「振替公演や払い戻しについては、SNSなどでお知らせします」
とのアナウンス。SNSか。……どこ見たらええんやろ。フェスティバルホールのホームページ?
徳永英明のホームページってあるんかな?なにしろ僕は、ファン歴、本日約30分。そこから調べなければならない。
昨日は喫茶店のハゲチャビン。
今日は徳永英明、まさかの途中終了。
今日は平和やと思ってたんやけどなあ。
明日こそ、普通にコーヒー飲ませておくれ。

パニック障害、おっさんに「このハゲチャビン」と叫ぶ。

昨日、韓国から帰ってきた。

今日はゆっくり韓国旅行のことでもブログに書こうと思い、昼にお気に入りのうどんを食べ、そのままコーヒーチェーン店に入った。

店員さんに「先に席を取ってください」と言われたので、窓際の席に鞄を置いて注文へ。

コーヒーを受け取って戻ると、スーツ姿のサラリーマンが10人ほど集まっていて、私の席にも誰かが座っている。

そして私の鞄は、勝手に端の席へ移動されていた。

「すみません。ここ、鞄を置いて取ってたんですけど」

と普通に言った。

すると中心にいた人が、端に移動された私の鞄を指さして、

「あっち」

それだけ言って、またみんなで話し始めた。

いやいや、「あっちて何やねん。お前の会社の人間ちゃうぞ!お前は何様じゃ!」と心の中で切れてしまった。

 

「勝手に鞄を動かしておいて、あっちって何ですか。あなたらがあっちに行くべきでしょう」

と言ったけど、また無視して話を続ける。

まだこんな奴らがおるんやなあと思うと、だんだん腹が立ってきた。

 

「あんたら、どこの会社や」と言うと、

「お前に名乗る名前はない!」と怒鳴られた。

ここで店員さんを呼べばよかった。普通なら、たぶんそうしていた。

 

ところが私は、「うるさい、このハゲ!」と言ってしまった。

なんでそこへ行ったのか、自分でも分からない。

しかも一度言ったら止まらなくなって、

「こら、そこのハゲチャビン」まで言ってしまった。

横にいた人が「なんや貴様」と言ってきたので、

「え? この人ハゲチャビン違いますか? ハゲてますよね?」

と、周りの人に確認までした。

ここでその中心人物が「ハゲててすんません」でも言ってくれたら、ここで終わっていたのだが。

そのハゲチャビン本人からは「お前こそなんや!」と興奮気味に言われた。

 

あ、マジで言ったらアカン言葉なんやな。このおっさんの前ではでは「ハゲ」は禁句なのだろう。

しかし、大変偉そうにしやがる。態度も顔も。会社の役職者なのだろう。でも、私には本当にただのオッサンなのである。何なら、尊敬できない人間だ。

それを分かったうえで、

「ハゲに名乗る名前なんかあるかー!」と返した。

もう何の話をしているのか分からない。

てか、ボチボチ店員さん止めに来いよと思ったけど、アルバイトの女の子みたいで、ただただこちらを見つめてるだけ。

 

人のコンプレックスを攻撃してはいけない。そんなことは百も承知である。

元カウンセラーとして、怒っている人を前にして「その怒りの奥には、どんなお気持ちがありますか」くらい言っていたかもしれない。

今日の私は違った。

それなのに、なぜ「ハゲチャビン」が出てきたのだろう。自分でもよく分からない。

最後には、昔聴いた電気グルーヴの歌を思い出して、

「皆職場でお前の事間違いなくハゲてよんでるぞ。わかってんのか。おまえの似顔絵は必ず頭から描かれるぞ」

みたいなしょうもないことまで言って、店を出た。

誰か笑ってくれ。お笑いで終わらせてくれ。しかし、誰も笑わなかったし、笑えなかったのだろう。

 

外へ出たら、また胃が痛くなった。

相手がやったことは今でも失礼だと思うし、黙って席を譲ればよかったとも思わない。

でも、「勝手に鞄を動かさないでください。そこは私が取っていた席です」

それでよかった。そこから先のハゲチャビンはいらなかった。

韓国から帰ってきて、今日はゆっくりコーヒーでも飲みながら旅行のことを書こうと思っていたのに。

韓国から帰って、確かに疲れていた。でも、そんな事言い訳にもならない。

ほんま、何してんねん。

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韓国で食べた生レバーとユッケの悪い菌が入ったのかな?

美味しかったのにな。

パニック障害、母がまだ「お母さん」ではなかった町へ

 少し前、母と二人で愛媛へ行った。母が学生時代まで過ごした町で、僕は一度も行ったことがない場所だった。

初めて訪れる町なのだから、見るものすべてが初めてのはずなのに、不思議なことに着いてしばらくすると、どこか懐かしい感じがした。

 小さな港があって、漁船が何隻も並んでいる。潮の匂いがして、昔からそこにあるような家々が続いていた。夕方になると海の向こうに太陽がゆっくり沈んでいき、水面がオレンジ色に光った。その景色を眺めながら、「母は、これを見て育ったんやなー」と思った。僕は初めて来たはずなのに、なぜか昔ここに来たことがあるような気がした。

 母は結婚して大阪へ出てきた。親族もみんな大阪へ移っていたこともあり、それから故郷へ帰ることはなかったらしい。そんな母も、もう80歳を過ぎた。

以前から、母には学生時代からの親友がいるという話を聞いていた。今でも手紙を書いたり電話をしたりしているというので、あるとき何気なく「最後に会ったん、いつなん?」と聞いてみた。すると「もう60年くらいになる」と言う。

60年!さすがに驚いた。そんなに長い間会っていないのに、今でも親友なんやと思った。

 僕は仕事を辞めて、今は時間だけはある。まだ元気な母だけど、行くなら本当に今しかないと思った。

そして、「ほんなら、愛媛に一緒に行こう」と言った。母と2人旅。物凄く小っ恥ずかしいけど。行くなら今しかないと思った。大阪から愛媛へ行って、ホテルを取って、母を連れて行けばいい。

ところが母は、最初はあまり本気にしていなかった。父を置いて行けない、今さら愛媛なんて、そんなことが本当にできるのか。どうも自分が故郷へ帰れるということ自体が、あまり現実的なことに思えなかったようだった。

ちょうど姉が帰ってきていたので父のことをお願いすると、快く引き受けてくれた。そうして本当に愛媛へ行くことになった。それでも母は出発するまで、どこか「ほんまに行くん?」というような顔をしていた。

 

 愛媛では、親友の娘さんが車で迎えに来てくれた。60年ぶりの再会なのだから二人だけでゆっくり話した方がいいだろうと思ったのだが、母が僕にも一緒にいてほしいと言うので、三人で喫茶店に入った。

そこで僕は、自分の知らない母の話をたくさん聞くことになった。

僕の知っている母は、おとなしい人だ。もともとお嬢様育ちだったこともあって、若い頃もきっと静かな女の子だったのだろうと勝手に思っていた。ところが親友の話を聞いていると、どうも違う。海を渡ろうとしたので止めたとか、それでも海に飛び込んで水泳部の友人に助けられたとか、そんな話が次々に出てくる。「え? え?」と思わず聞き返した。しかも合気道の上段者だったという話まで出てきた。

僕の知っている母とは、ずいぶん違った。

 二人は昔の話をしながら楽しそうに笑っていた。その姿を見ているうちに、当たり前のことなのだけれど、僕は初めて気づいたような気がした。

僕のお母さんになる前にも、母には母の人生があったのだ。

友達と遊んで、笑って、ときには無茶をして、海に飛び込んでいた女の子の時代があった。僕はその頃の母を知らない。でも目の前にいる親友は、その頃の母を知っている。それがなんだか、とても不思議だった。

もう一つ、すごく印象に残ったことがある。60年ぶりの再会なのだから、二人は時間を惜しむようにずっとしゃべり続けるのだろうと思っていた。でも、そうでもなかった。

途中で話が止まり、二人とも黙っている時間があった。最初は僕の方が「あれ?」と思った。でも二人を見ると、まったく気まずそうではない。お茶を飲んだり、窓の外を眺めたりしながら、ただ静かに座っている。その沈黙が、むしろとても心地よさそうだった。

60年間会っていなかったのに、何もしゃべらなくても大丈夫だった。

親友って、こういうものなのかもしれない。

横で見ながら、ちょっと羨ましかった。

 二泊の間に、母が昔通っていた学校にも行った。母が好きだった場所にも行った。そして、母が生まれ育った家にも行った。驚いたことに、その家はまだ残っていた。

家の前に母を立たせて写真を撮った。80歳を過ぎた母が、自分が子どもの頃に暮らしていた家の前に立っている。僕にはその時間の長さがうまく想像できなかった。でも写真を撮りながら、今そこにいる母と、何十年も前にそこから学校へ通っていた女の子が、一瞬重なって見えるような気がした。

 夕方には海へ行った。漁船が並ぶ港の向こうへ夕日がゆっくり沈んでいった。母が何を思っていたのかは聞かなかったし、僕も特に何も言わなかった。ただ二人で海を眺めていた。

母にとっては、昔から知っている景色。僕にとっては、初めて見る景色。それなのに、僕にもなぜか懐かしかった。

なんでなんなんやろう。

今でもよく分からない。

 でも、母が何十年も心の中に持っていた景色を一緒に見ているうちに、それが少しだけ僕の景色にもなったような気がした。

大阪へ帰ってから、親友と一緒に撮った写真を大きく引き伸ばして母に渡した。母は今でもその写真をよく眺めている。そして「本当に行ったのね。信じられない。これ見てたら幸せになるのよ」と言ってくれた。

たった二泊の旅行だった。僕からすれば、大阪から愛媛へ母を連れて行っただけ、と言えばそれだけのことだ。でも母にとっては、60年という時間を越えて帰った旅だったのかもしれない。

 結婚して大阪へ来て、妻になり、母になって、ずっと家族と暮らしてきた。その間、あの港も、あの海も、生まれ育った家も、親友も、ずっと遠いところにあった。

僕はただ「行けるんやったら、今しかないやん」と思っただけだった。それを母は何度も「夢みたいや」と言った。

母と二人で旅行するなんて、僕自身もこれまで考えたことがなかった。でも行ってよかった。本当にそう思う。そして何より、間に合ってよかったと思う。

「いつか行こう」「いつか会おう」「いつか帰ろう」。

そういう「いつか」は、いつまでも残っているような気がする。でも本当は、そうじゃないのだろう。だからといって焦って何でもやらなくていい。ただ、目の前に今なら叶えられる「いつか」があるのなら、一つくらい今日に変えてみてもいいのかもしれない。

今回、僕は母を故郷へ連れて行ったつもりだった。

でも帰ってきてから考えると、少し違ったのかもしれない。

あの旅で僕は、海に飛び込んだり、友達と笑ったりしていた、まだ「お母さん」ではなかった頃の母に、少しだけ会えた。

そして、一度も行ったことがなかった母の故郷は、今では僕にとっても、少しだけ懐かしい場所になっている。

パニック障害、この2年は人生の実験期間にする。

人生の残り時間がどれくらいあるのかは分からない。でも最近、一つだけ分かったことがある。

元気に動ける時間は、人生そのものより、たぶん少し短い。

だから、この1、2年を「人生の実験期間」にしてみようと思う。

 会社を辞めてから半年、いろんなところへ行った。

退職してすぐには調子に乗って、石垣島と竹富島に9日間も滞在した。美味しいものを食べ続けた結果、胃が疲れて旅行の後半はまさかの絶食生活。おまけにホームシックまで発症した。

「長く旅をすれば、その分だけ幸せ」という仮説は、沖縄の青い海を前にして、あっさり棄却された。

 北海道では、美味しいものを食べて順調だった。肉離れになるまでは、、、、。

旅先で足をやってしまうと、美味しいものが目の前にあろうが、絶景が待っていようが、歩けないものは歩けない。

北海道まで行って得た研究成果は、「人間、足が動かないと旅も動かない」であった。

笑い話みたいだけれど、これは結構大きな発見だった。「いつか行こう」の“いつか”には、自分が元気であるという条件がついている。

 逆に、尾道の友達のところへ行った時は、ほとんど観光をしなかった。食べて、しゃべって、寝る。それだけなのにめちゃくちゃ楽しかった。

家で何もしないでテレビを見る生活も試した。最高だった。でも3日ほどで飽きた。

平日のランチもいろいろ開拓した。これも楽しい。でも外食は続けば飽きた。

難儀なことに、どうやら僕は、自由になれば永遠に楽しいというほど単純にはできていないようだ。

50歳を過ぎても、自分が何をしている時に一番心地いいのか、実は全然わかっていない。

でも、だったら調べてみればいいじゃないか。

いまおもいつくことでも、陶芸、乗馬、料理教室等もやりたいな。行ったことのない場所へ行って、知らないものを食べる。何もしない日も作る。写真を一冊の本にしたり、記録を残したりするのも実験の一つだ。

「最高だった」も、「二度とせん」も、どちらも立派な研究結果である。

僕は決して行動力のある人間ではない。むしろかなりのビビりで、失敗するくらいなら、やらない方を選んできたことも多い。

それでも人生を振り返ると、失敗した記憶より「あの時やっておけばよかった」と思うことの方が残っている。

もちろん、前を向けない時に無理に向く必要なんてない。

立ち止まる時間も、過去を何度も振り返る時間も、人には必要なのだと思う。

僕にも、そういう時間があった。

ただ僕の場合は、もう十分。散々に悩み、苦しんだ。

過去を考えて今日を終えるより、まだ何も書かれていない明日のことを考えて今日を終えたい。

ようやく、そう思えるようになった。

この1、2年で人生の正解を見つけるつもりはない。たぶん、そんなものは最後まで分からない。

失敗したら、データが一つ増えるだけである。疲れたら休むし、面白ければ、絶対にもう一度やる。

それくらいでいい。

人生には、お金より先に使えなくなるものがある。

元気な自分だ。

だから、動けるうちに、まだ知らない自分に会いに行こうと思う。人生は、過去を読み返すためだけに残された本ではない。

まだ白いページが、ずいぶん残っている。そこに何を書くのかは、まだ知らない。

知らないということを、今は少し贅沢だと思っている。

心斎橋にできた有名なジェラートの店。濃厚アイスと無花果。

しかし、北海道のソフトクリームには敵わないです。早く北海道に行きたいなー。