稚内旅行から帰ってきて、しばらく僕の頭の中には右足の痛みが残っていました。
宗谷岬で足を痛め、たった一歩歩くことがこんなに大変なのかと思いました。普段なら何も考えずにしていることが、急に一つ一つ大仕事になりました。
足が動かないだけで、旅はこんなにも不自由になるのか。そんなことを考えながら帰ってきました。
ただ、僕はどこか楽観的な人間でもあります。怪我をした直後は「終わった」と思ったのに、少し良くなると、すぐに「次はどこへ行こうか」と考え始めていました。足はまだ痛いのに、頭の中では次の旅が始まっていました。
ところが、そんな呑気な未練に浸っているところへ、旅のあとに三つの知らせが届きました。
一つ目は、がんで療養している先輩のことでした。
北海道へ行く前に会ったときは、まだ冗談を言えていました。それが帰ってきて面会に行こうとすると、体調が悪く、本人が面会できない状態だと聞かされました。吐き気が強く、今後も面会できるか分からない。家族もかなり疲れているようでした。
ほんの少し前まで会話できていた人が、急に遠いところへ行ってしまったような気がしました。
二つ目は、親友のことでした。
北海道のお土産を渡そうと思って連絡をしたのですが、返事がありませんでした。あとで分かったのは、脳梗塞で入院していたということでした。
突然うまく話せなくなり、そのまま病院へ行って入院。スマホを触ることも難しく、LINEも打てなかったそうです。今はほぼ良くなったと言われましたが。
最近もトライアスロンに挑戦しており、ボクシング仲間です。僕の中では、健康そのもののような存在でした。
その人が、ある日突然、言葉を失う。これはかなりこたえました。
三つ目は、昔の職場の後輩からの連絡でした。
とても綺麗で、愛嬌があって、明るくて、小悪魔的で、どこへ行っても人に好かれるような人でした。
久しぶりにLINEが来たので、僕は勝手に、また何か華やかな報告でもあるのかと思いました。もしかして二回目の結婚か。しかもまた医者か。そんな失礼な想像をしていました。
ところがぼくが、「ひさしぶりやな。電話できるなら電話で話そう」とLINE送ると、「電話はしないでください。LINEでお願いします」と返ってきました。
その時点で、いつもの雰囲気ではないことが分かりました。
がんになって手術をしたとのことでした。乳がんで、片方の乳房を全摘出したと。
看護師として治療などの覚悟はできていたけれど、気持ちがついていかない。会ったら泣いてしまうし、迷惑をかけてしまう。
そう言われました。
僕は長く、人の話を聞く仕事をしてきました。カウンセリングを、何年もしてきました。
でも、こういうときに気の利いた言葉なんて出てきません。
「大丈夫」とは書けない。「頑張って」も違う。「分かる」なんて、もっと違う。
その体になった人の怖さや悔しさは、本人にしか分かりません。
こういう話を書くと、急に人生訓のようにまとめたくなります。でも、人間はそんなにきれいにまとまりません。
僕は今日も普通に近所でランチを食べました。サッカーも見ました。ランチを食べながら、「ここのうどんは美味しいな」と思い、サッカーを見ながら、素人のくせに「勝ってるけども、もっと攻めろよー」とか思っていました。
その間にも、先輩は吐き気に苦しんでいるかもしれない。親友はリハビリをしているかもしれない。後輩は鏡を見ることすらつらい時間を過ごしているかもしれない。そう思うと、自分が普通にご飯を食べていることすら、少し申し訳ないような気持ちになります。
でも、結局僕は食べます。
どれだけ大事な人が苦しんでいても、お腹は空きます。悲しみながらも、たぶんちゃんと食べます。
人間とは、なかなか勝手で、そして現実的な生き物です。
苦しみに寄り添いたいとは思います。けれど、ずっと病室の横にいることはできません。苦しみを半分引き取ることもできません。相手の人生を、こちらが代わりに生きることもできません。
人は誰かを心配しながら、自分の昼ご飯のことも考えます。誰かの病気に胸を痛めながら、自分の明日の予定も考えます。
きれいではありません。でも、それが人間なのだと思います。
僕はパニック障害を長く患っています。
今は旅行ブログを書けるようになり、元気そうに見えるかもしれません。稚内へ行来ました。プレミアムクラスに乗った、ウニ丼を食べた、スープカレーがおいしかった。
でも、昔の僕は旅行どころではありませんでした。
ただ部屋で座っているだけで心臓がバクバクしていました。自分の体が上下左右に勝手に揺れているような感覚になり、テレビを見ることもできませんでした。寝ていても目が回り、起きていても落ち着かず、何をしていても心が休まりませんでした。ひどい悪夢を二十四時間見ているような感じでした。
旅行どころか、起き上がることすら怖い時期もありました。
それでも働かないといけませんでした。家族がいて、生活があって、自分が倒れるわけにはいかない。目が回るような状態で、笑顔を作って、人の相談を聞いていました。
ぐるぐるバットをしたあとに、みんながフラフラして転んで笑うような場面があります。僕の場合は、あのフラフラがずっと続いているような状態でした。
でも、転べません。笑えません。仕事中です。目の前には相談者がいます。
自分の中では世界がぐるぐる回っているのに、外側では普通の顔をして「それは大変でしたね」と言っている。
今考えても、なかなかの芸当です。
もしあの状態が一生続いていたら、僕は旅行どころか、このブログを書くことすらできなかったと思います。もしかしたら、つらさに耐えきれず、人生を自分で終わらせることを考えていたかもしれません。それくらい、あの頃はしんどかったです。
今は薬にも助けられ、時間にも助けられ、「なぜあんなにドキドキしていたのだろう」と思えるところまで回復しました。
もちろん、完全に治ったわけではありません。今回の帰りのように飛行機の真ん中席は今でも怖いです。パニックが出ないように薬を飲み、目を閉じ、気絶気味にやり過ごせました。
だからこそ、今回の三つの知らせは重く感じました。
僕は薬や時間や周りの助けで、少しずつ動けるようになった。けれど、別の誰かは今まさに病気の中にいる。
人はいつでも、いつもの日常から病院のベッドの上へ、心配する立場から心配される立場へ、あっという間に移ってしまうことがあります。
その境目は、自分が思っているよりずっと薄いのだと思います。
稚内で足を痛めたとき、僕はその境目を少しだけ踏みました。
足を引きずるだけで、世界が変わりました。道路の段差が怖い。店の入口が遠い。空港の列がつらい。人の目が気になる。
障害のある人に優しい社会という言葉はよく聞きます。けれど、現実はきれいではありません。
道路はガタガタです。段差はあります。困った顔をしていても、みんなが助けてくれるわけではありません。
身体の障害も、精神の障害も、まだまだ見えない壁があります。
僕はパニック障害があります。外から見えない不自由さがあることは、少しは分かっているつもりでした。
でも今回、足を痛めて、また別の角度から思い知らされました。
動けるうちに動いた方がいい。
これは明るい旅行の宣伝文句ではありません。かなり現実的で、少し怖い言葉です。
「またいつか」と棚に上げずに、まず本当に行けるのか調べてみる。久しぶりに会いたい人がいるなら、相手の負担にならない程度に、元気かどうかだけでも連絡してみる。食べたいものがあるなら、胃もたれしない範囲で、できれば翌日の予定も考えながら食べに行ってみる。
そのくらいのことで、かなり地味です。でも、僕にとってはそれでも十分に前のめりです。
稚内旅行から帰ってきて届いた三つの知らせは、僕に「また今度」が必ずあるとは限らないことを教えてくれました。
病気は、こちらの予定に合わせてくれません。気持ちの準備も待ってくれません。突然来ます。
近所でランチを食べながら、先輩のことを考える。サッカーを見ながら、親友のことを考える。旅行の予定を調べながら、後輩のことを考える。
そして、そのたびに少し落ち込んで、でもまたお腹が空いて、ご飯を食べるのだと思います。
立派な答えはありません。
ただ、生きている間に、できることを少しずつしておく。
今の僕には、それくらいしか答えが見つかりません。

お気に入りのうどん屋さんです。
でも、本場香川県のうどんはこれより美味しいのか。気になって仕方がありません。
しばらくは休憩し、台風などの様子を見ながら、突撃する予定です。