パニック障害で人生右肩下がり中

私自身がパニック障害でHSPです。約25年精神疾患の方に携わり、現在もカウンセリングや生活指導を行っています。この病気に関連する様々なことについてや、理想とつらい現実のギャップについて掲載していきたいと思います。

パニック障害、FIRE生活の実感がまだない

3月31日で退職しました。

そして4月1日から、FIRE生活に入りました。うーんでも、もっと劇的な変化があるものかと思っていました。

 朝起きた瞬間から世界が変わって、「ああ、これが自由なのか」とコーヒーを片手に微笑むような、そんな感じを想像していました。

でも、実際はそんなふうではありませんでした。

自由になったはずなのに、まだそこまで自由な気がしていません。

むしろ、ちょっとしたことにまだビクビクしています。

長いこと、朝早く起きる。色々我慢する。先に備える。無駄遣いしない。仕事に行く等など。

それが当たり前だった人間が、急に「好きにしていい」と言われても、どうやら、そんなに簡単には切り替わらないようです。

しかも、やたら眠たいです。意欲もあまりありません。本当によく寝ています。

まあしかし、このあたりは、ずっと無理していた反動なのかもしれません。

 

 3月、送別会の時期は、思った以上に色々な人に心配されました。

次の仕事はどうするのか。大丈夫かと。ありがたいです。本当にありがたいです。

でも一方で、それで終わり。心配ではなく、どうするのか?の興味しかないことも知っています。

本当に心配してくれる人は、すぐ駆けつけてくれ、連絡をくれる人です。その人達とは個別に送別会をしました。次の約束も。

そして無事、送別会は全部終わりました。一次会ですぐ帰ってやりました。

タクシーの中で、これでようやく職場の空気から少し離れられるかと思いました。職場を懐かしんだりすることはなく、せいせいとした気持ちだけでした。

ああ、本当に縁が切れたぞ!

 

ところが、そうでもありませんでした。

今度はLINEで、新人の愚痴や現場の話が流れてきます。あの人がどうした、この人がどうした、やっぱりみんな愚痴が多いです。

よくそんなに毎回ネタがあるなと思うくらい、よく愚痴ります。

こちらとしては、早く忘れたいのです。でも、向こうから思い出させてきます。

退職してもなお、職場はしぶといものだなと思います。

 ただ、平日に映画館へ行ったとき、少し不思議な気持ちになりました。

午前10時の映画祭で、友人と『AKIRA』を大画面で見ました。30年前のアニメですが、すごい迫力でした。

でも、客は3人しかいませんでした。

映画館がこんなに人がいないのを見たのは、初めてでした。そのとき、ああ、こういうことなのかもしれないなと思いました。

人が働いている時間に、少ない観客の中で映画を見る。

そういう時間を、これからは持てるのかもしれないと思いました。

それと同時に、少し悔しさのようなものもありました。

今まで、映画も、博物館も、美術館も、行きたいと思っていたのに、気がついたら上映が終わっていた。開催が終わっていた。見たかったものが、もう見られなくなっていた。

何をするにも、優先せねばならなかったのは当たり前に職場だったのだ。クソー。

今からは、それらに行けるのかもしれない。そう思うと、うれしいというより、少し不思議な感じがしました。

 

 FIREというのは、もっと軽やかなものかと思っていましたが、実際は眠かったり疲れたり、思ったよりずいぶん地味です。

5月までは、なんだかんだ予定が入っています。でも6月からは、まだ何もありません。

退職金もまだ振り込まれていません。そのせいかもしれませんが、意外と人間、すぐには羽目を外せないものだなと思います。

もっと一気に解放されるのかと思っていました。もっと気楽になるのかと思っていました。

でも実際は、まだその入口で、様子をうかがっている感じです。

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本当は、マスターと気軽に話せるカフェを見つけているのですが、なぜか関わりが少ないカフェを選んでしまいます。

断捨離をしようと思っているのですが、全くやる気が出ません。

パニック障害、暗闇を克服する方法を募集。

セミFIREを始めて数日が経ちました。

といっても、今のところ感覚としてはまだ、土日休みがずっと続いているような感じです。

ただ、もっと早くFIREしてもよかったかもしれないと毎日思うほど楽です。

目覚ましをかけない生活。

誰にも評価されない生活。

人の人生を背負わなくてもいい時間。

これが思った以上に、気楽で軽い。

カウンセラーという仕事は、ただ話を聞いているように見えて、実際にはかなり重い仕事でした。

何十人もの患者さんの話を聞いて、背景を考えて、性格や特性を見て、どう関わるかを組み立てる。

それでうまくいけばまだいいのですが、効果がなければあっさり終わる。

なかなか骨の折れる仕事でした。

知り合いからオンラインカウンセリングをしないかと誘われたのですが、即答で断りました。

今はお金より、とにかく自分の人生を取り戻したいのです。

しばらくは、自分のことだけ考える時間にしたいと思っています。

そんな数日の間にも、歌舞伎を見に行ったり、友人の田舎について行ったりしました。

そして、その田舎でぜんざいを食べながら、ひとつ大事なことを思い出しました。

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私は、暗闇が怖い。

いや、「怖い」という言葉が軽く感じるくらい、怖いです。

田舎は暗い。

本当に暗い。

大阪市内で育った私の感覚で言うと、あれはもう「夜」ではなく、闇です。

ちょっとした暗さではありません。

神社やお寺も、昼間は風情があっていいのですが、人がいない夕方以降はダメです。

お堂の中なんか、昼なら平気なのに、夜は無理です。

五十過ぎたおっさんが何を言ってるのかと思いますが、怖いものは怖い。

もともと私はかなりの怖がりです。

お化け屋敷で、スタートからゴールまで目を開けて歩いたことがありません。

高校時代、クラスでお化け屋敷に行った時も、一緒に入った女子にすがりついて進みました。

その結果、なぜか「抱きしめられた」と大声で言われ、クラスのノリで、その女子と付き合わせられそうになりました。

こちらとしては、恋愛ではなく避難行動です。今思っても意味がわかりません。

しかも、これは若気の至りでは終わりませんでした。

社会人になってすぐ、映画『エイリアン』のお化け屋敷に行った時のことです。

途中でエイリアンに追いかけられる場面があったのですが、私はそこで腰を抜かしました。

友達は爆笑。

エイリアンも、たぶんちょっと困っていました。

最後は、案内役の隊長みたいな係の人に、何度も腰を抜かす私の手を引っ張り、強引にゴールまで連れて行かれました。

もはやお化け屋敷を楽しむ客ではなかった。あれ以来、お化け屋敷に行くことはありません。

大人になっても怖いもんは怖い。怖いものは怖いのです。

ここは一貫しています。

全く成長の跡が見られません。

そんな人間なので、竹富島の夜が怖いのです。

4月に竹富島と石垣島へ行く予定ですが、竹富島の夜は、前に友達と行った時でも「うわ、ちょっと引くぐらい暗いな」と思ったのです。

今回は一人です。

一人であの暗闇の中、外に出られるのか。

少しではなく、わりとしっかり、かなり不安です。

「じゃあ、夜道を一人で歩く練習をしたらどうかな」と思わなくもないのですが、

その発想自体がもう怖い。訓練がすでにホラーです。克服の前にメンタルが負けます。

でも、ここで思いました。

FIREしたからといって、何もかも強くなる必要はないのです。

暗闇が怖いなら、怖いでええやん。

無理に克服しなくてもいい。

夜の竹富が無理なら、明るいうちに宿へ帰ればいい。

それも立派な人生設計です。

セミFIREとは、自由になることだと思っていました。

でも実際には、自分の弱さを正式に認められる生活なのかもしれません。

街頭のない夜道が怖い。

田舎の神社がびっくりする位に怖い。

お堂の中も、めちゃくちゃ怖い。電気つけてほしい。竹富島の暗闇は、ものすごく怖い。

そんな五十過ぎのおっさんがここにいますが、

まあ、それも私です。

ということで、竹富島では無理に離島の夜を満喫しようとは思いません。

夕方までに風呂に入り、早めに部屋へ戻り、安全地帯から

「うわあ、外、真っ暗やなあ。さすが離島!」

と震える予定です。

克服方法を募集いたします。

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以前、竹富島に行ったときの写メです。懐中電灯を持ち歩きました。お土産販売所から、マンゴーやパイナップルを大阪に送る際、この懐中電灯も荷物にいれてしまっていたようで、大阪に帰ってから、宅急便の会社から電池らしきものが入っており、送れないと連絡がありました。何とかお願いして懐中電灯を取り出し処分してもらい送ってもらいましたが、マンゴーもバナナも全て腐っていました。嫌なこと思い出しました。

パニック障害、ミサイルの夢を見てビビる。

夢の中で、ミサイルが落ちました。

窓の外から見える遠方に着弾して、その瞬間、大きな炎が上がりました。

そして次の瞬間、その爆風と熱が、ものすごい勢いで私のマンションのほうへ向かってきたのです。

どんどん、どんどん、こちらに近づいてきました。

窓の外を見ながら、私は思いました。

あ、これ普通の爆発ちゃう。核や。もうあかんやん、こんなん。

それが夢の中で、私が最後に言った言葉でした。

そして目が覚めました。

 最近こんな夢を見てしまったのは、たぶん中東情勢のニュースのせいです。

YouTubeやテレビで、ミサイルやドローンが飛び交う映像を何回も見ていたら、頭のどこかに残ってしまうのでしょう。本当に怖いし、腹もたちます。

 ただでさえ不安を感じやすいのに、ああいう映像を何度も見ていると、頭の中で現実と想像の境目がだんだん薄くなってきます。

もし今、ミサイルが落ちてきたら。

もし南海トラフが起こったら。

そう考え始めると、不安はどこまでも広がっていきます。

特に大阪のような人の多い場所で大きな地震が起こったら、どうなるのでしょう。

この辺りなら避難先は小学校なのだと思いますが、周囲にはホテルも多く、インバウンド客を含む人数が一斉に動いたら、とんでもない状況になるのではないかと思ってしまいます。

正直、避難所に行けば何とかなる、とはあまり思えません。

 そんなこともあって、今日は改めて緊急避難袋の中を整理しました。

水や食べ物ももちろん大事ですが、今の自分は、それ以上に現金や通帳、銀行カード、金融関係の情報のほうが大事なのではないかと思いました。

結局、貯金があれば、もし被災しても動けます。

しばらく大阪を離れて、北海道や沖縄、あるいは他の比較的地震に強そうな地域へ、一時的に避難するという選択肢も持てます。

避難所でじっと耐えるしかない、ではなく、移動する自由を持てる。その意味でも、やはり現金や資産は大事だなと思いました。

 そんなことを考えていたら、ついには防災用の金庫まで買ってしまいました。

自分でも「そこまでいくか」と思いましたが、買ってしまったものは仕方ありません。

不安が行動力に変わると、こういうことになります。

避難袋の中には、現金、通帳、銀行カード、そして金の現物も入れています。

その金というのが、昔、病院の院長に半ば無理やり勧められて、付き合いで買わされた金のブレスレットです。

当時は10万円弱くらいだったと思います。

正直、成金みたいであまり好きではありませんでした。

こういうものを勧めてくる院長も、めちゃくちゃチャラチャラしていました。

「なんでこんなん買わなあかんねん」と思いながら買った記憶があります。

ところが今日見たら、その金のブレスレット、なんとかなり値上がりしていました。

約20年で、ほぼ8倍です。ついこないだまで10倍でしたが…。

まさか、あのときのチャラい付き合い買いが、ここに来て防災資産みたいになるとは思いませんでした。

人生て、本当にわからないもんです。

 せっかくFIREも始まるというのに、ビビりすぎて情けないなと思うこともあります。

でも、不安というのは、気合いで消えるものではありません。

不安だからこそ避難袋を見直し、防災用の金庫まで買ってしまう。

そう考えると、怖がりも悪いことばかりではないのかもしれません。

怖がりな自分は情けないけれど、その怖がりのおかげで備えることもできる。

最近はそんなふうにも思います。

皆さんは、こういう不安とどう付き合っていますでしょうか。

災害や戦争のニュースを見たとき、何を備えていますか。

避難袋には何を入れていますか。

そして本当に何か起きたら、どこへ動こうと考えていますか。

私はまだ正解はわかりません。

ただ、とりあえず今日は避難袋を見直して、防災用の金庫まで買いました。

そして、昔のチャラい院長に買わされた金のブレスレットが、まさか今ごろ頼もしく見える日が来るとは本当に思いませんでした。

人生、何が防災になるかわかりませんね。

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今日は友人と食事に行く予定でしたが、友人が急な仕事でキャンセルに。最近は天ぷらと、うどんにハマっています。

パニック障害、空想が叶う

有馬温泉に行ってきました。
この旅は思いつきではありません。
FIREなんて本当にできるのだろうか、たぶん夢やろ、と思っていた数年前から、ずっと頭の中にあった空想がありました。
有馬温泉の金泉の貸し切り風呂で、手を挙げて「やったぞー!」と言うこと。
今思えば、妙に具体的です。
でもあの頃の自分には、それくらい働かなくていい未来が遥かに遠かったのです。
そして今回、本当にそこへ行きました。
貸し切り風呂は想像以上でした。
夜の金泉、穏やかな空気、やわらかで優しい灯り。
しかも大きな音楽とともにイルミネーションまで流れてきて、ちょっとやりすぎなくらい豪華でした。
 本当は、ここで泣くと思っていました。しみじみ泣くか、豪快に泣くかと。
長かったなとか、しんどかったなとか、やっとここまで来たなとか思いながら。
でも実際は、泣きませんでした。
それどころか、これまで引っかかっていた嫌なことを思い出そうとしても、意外なくらい出てきませんでした。
許したわけではありません。
二度と会いたくもありません。
でも、もう自分の中心にはいなかったのだと思います。
 そして、いよいよ「やったぞ」の場面です。
本当は大きな声で言いたかったのですが、隣の貸し切り風呂からカップルの楽しそうな声が聞こえてきて、少し気まずくてやめました。
そこで、そっと一度だけ手を挙げました。
でも、一度では終わりませんでした。
手を挙げるたびに、心の中で何度も、
やったぞ。
やったぞ。
やったぞ。
と繰り返していました。
さらにそのうち、
勝った。
勝った。
勝った。
という言葉まで出てきました。
ただ、それは誰かに勝ったということではありません。
長いあいだ自分を縛っていたものから、少しだけ自由になれた。
ようやく自分の人生に追いつけた。
そんな感覚に近かったのです。
もちろん、全部が完璧だったわけではありません。
食事はかなりいいコースを頼んだのですが、お肉が良すぎて脂が強く、そこへ日本酒まで飲んでしまって、普通に気持ち悪くなりました。そのことで泣きそうにもなりました。
花粉症もひどくて、夜中に何度か目が覚めました。
町中は、学生が多すぎて、少し時期を間違えたかなとも思いました。
それでも、行ってよかったです。
なぜなら、あの貸し切り風呂で、昔の空想をちゃんと回収できたからです。
人生の節目というのは、もっと劇的なものだと思っていました。
でも実際には、湯の中でそっと手を挙げて、何度も「やったぞ」と繰り返す。
そのくらい静かで、穏やかに、そのくらい個人的なものなのかもしれません。
少し遅れて、自分の人生に追いついた。
そんな夜でした。

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パニック障害、会社を辞めた気がしない。

やっと退職しました。

長いあいだ願ってきたことが、ようやく現実になりました。

正直、もっと解放感があるのかと思っていました。

自由になったとか、これから何をしようとか、そんな気持ちが一気に湧いてくるのだと思っていました。

でも、実際は全く違いました。

感覚としては、まだ、ただの土日のようです。

気がつくと、いつものように仕事のことを考えてしまいます。

もう辞めたのに、心だけがまだ職場に残っているような感じです。

職場の人からLINEが来ることもあります。

ふとした瞬間に、仕事のことを思い出します。

だからなのか、まだ本当に辞めたという実感が、うまく持てないでいます。

辞めてすぐ、海外旅行にでもすぐ行ってしまえば、切り替えられたのかもしれません。

でも今回は、とにかく何もしないことを味わってみたかったのです。

最低限の家事だけして、あとは何もしない。

予定も入れず、頑張りもせず、ただ時間を過ごす。

そんな日を、今、自分に許しています。

それなのに夜になると、胸がざわざわします。

明日はもう仕事に行かなくていいはずなのに、ふと「ぎゃー明日仕事だ。嫌だー」と思ってしまうことがあります。

長いあいだ続けてきた毎日は、そう簡単には抜けていかないのだと思います。

でも、朝だけは少し違いました。

目覚ましをかけずに眠って、目が覚めたら9時半でした。

時計を見たその瞬間、思いました。

あ、そうだ、もう会社に行かなくていいんだと。

その時、自然に「よっしゃ。ありがとう、自分」という気持ちが出てきました。

本当によかったと思いました。

ここまでよく頑張った。

やっと終われた。

やっと、自分をここまで連れてこられた。

そんな気持ちでした。

ランチに出かけると、会社へ向かう人たちの姿が見えます。

同僚同士で、朝から仕事の話をしている人たち。

それは当たり前の景色のはずなのに、今の私には少し不思議に見えます。

朝から晩まで仕事のことを考えて、仕事の都合で一日が埋まっていく。

それが普通なのだとしても、私はもう、その中には戻れない気がします。

もっと自分の好きなことを大事にして、

好きなものに囲まれて、

好きな人と時間を過ごせたら、

それだけで十分幸せなのではないかと思います。

もちろん、お金がなければ、こんな選択はできませんでした。

だから働いてきた時間にも意味はありました。

世の中は簡単ではありません。

それでも、思い続けてきてよかったのです。

FIREは、ただお金の話ではありませんでした。

自分の時間を、自分に返すことでした。

自分の人生を、もう一度自分の手に戻すことでした。

でも、本当に実感は薄いです。

まだ胸がざわつく夜もあります。

それでも、朝9時半の時計を見て、

「もう行かなくていいんだ」と思えたあの瞬間だけは達成感と安堵感が半端ないです。

ずっと夢みたいに思っていたことが、ちゃんと現実になったのだと思います。

ありがとう、自分。

誰にもわからないところで、ずっと耐えて、ずっと考えて、ずっとここを目指してきました。

その積み重ねが、今日の朝9時半につながったのだと思います。

もう急がなくていい。

もう無理をしなくていい。

そう思えた今日の朝を、私はたぶん一生忘れないと思います。

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陽の光がとても優しくて、どうしても長居してしまいます。

パニック障害、毎日めくるめくる。

 退職日までのカウントダウンが、いよいよ始まりました。最初はアプリで「あと何日!」を眺めてニヤニヤしていたのですが、やっぱり昭和男なので、手触りのある実感が欲しくなって日めくりカレンダーを作りました。一枚ずつちぎるだけなのに、その瞬間だけは「おっ、ちゃんと進んでいる」と指先で確かめられる気がして、心がめちゃくちゃ軽くなります。

 最近は、仕事の中でも少しずつ区切りが増えてきました。挨拶をしたり、いつも通りのやり取りをしながら、心の中では「これが最後かもしれないな」と思う場面が増えています。ありがたいことに、仕事を辞めても付き合っていきたいと思える人が数人いて、個別で送別会をしてくれることになりました。正直、以前の僕なら、どうせ距離ができるとか、勝手に悪い方へ想像して先に心を守っていたと思います。だからこうして声をかけてもらえたこと自体が、今の僕にはちゃんと嬉しいのです。当日は「これからも遊びましょう。今後ともよろしくお願いします」と、本当の笑顔で伝えるつもりです。

 

 今は五年日記を買って、書いています。最近は量が増えました。退職のことというより、退職後の生活を書き込んでいて、同じ人物とは思えないほどページがぐちゃぐちゃです。でも、そのぐちゃぐちゃは、たぶん未来を信じようとしている思いであり、跡なんだと思います。僕は患者さんにいつも言っていました。「良かった出来事を一日三つ、絶対書いてください。いいことを考える癖をつけてください」と。数年前まで日記が白紙だった僕が、相談職として、人の人生や置かれた状況に触れ、たくさんの出会いを重ねてきた時間は、振り返ればあっという間で、何がなんだか分からないくらいです。それでも今、はっきり思います。あの時間は、悪くなかったと。無駄な時間ではなかったんだ。

 だから今日も、日めくりを一枚ちぎって、ニヤニヤしています。ちぎっているのは紙なのに、削れていくのは不安のほうで、残っていくのは、また元の自分に戻れるという感覚です。

 

 悲劇だと思っていた日々が、いつの間にか喜劇に切り替わっていく…。そんなふうに、明日もめくれていけばいいやと思っています。

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昨日は、大阪心斎橋で穴場のカフェを発見しました。アークテリクス(ARC'TERYX)の3階にカフェがあったなんて。土曜日でどこに行っても人が多いのですが、ここはまだあまり知られていないようです。店内は高い天井、おしゃれな空間。音楽はレコード。心斎橋に来られた際はおすすめです。

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パニック障害、ハチャメチャな毎日で疲れる。

 本当はブログを書きたいのに、最近は全然まとまりませんでした。

ネタがないからではなく、むしろ逆で、出来事が多すぎて頭の中が渋滞していました。退職のこと、手続きのこと、送別会、旅行の予定、FIRE後の暮らし方。ひとつ整理しようとすると、次の出来事が入ってくる。そんなハチャメチャな日々でした。

 その中で、いちばん大きかったのは友人との仲直りです。前回のブログで書いた友人です。

仕事も退職も抱えている中で、大切な関係まで失ったら、どこかで折れてしまいそうだったのですが、友人から誘いがあり、話しました。言葉は難しいのに、結局、言葉でしか戻れない。お互いの「本当はこう言いたかった」が見えた瞬間、すんなり戻れました。本当に良かったです。

 あと、病院で退職の話を患者さんに伝え始めなくてはならず、胸が詰まりました。泣いてもうたらどうしようかと…。しかし、全てが感動ではなかったです。

反応は意外とあっさりしていて、思わず笑ってしまいました。

「へー、辞めるんや」

「次だれ?」

こちらが感傷的でも、相手は淡々としている。でもそれは冷たいのではなく、当たり前なのだと思います。病院にいる人はみんな自分のことで精一杯です。手術、検査、痛み、不安、明日のこと。私の退職より、自分の体と生活が優先される。それが自然です。少し寂しいですがね。

そんなタイミングで、本部から退職を引き止められる出来事もありました。

上司から「評判がいい」「役職を戻す」「処遇も上げる」上層部は期待してる。これはチャンスだ。

言葉は立派でした。けれど長く現場にいる私は、少し違う匂いも感じてしまいました。

私が大事だからというより、私がいなくなると現場が回らないから。そう思った瞬間、思わず苦笑いが出ました。そして、その場で私が全くブレないのを見て、周りが「かっこいい」と言ってくれました。

そして忘れられないのが、上司の顔です。青ざめた顔で本部に飛んで行きました。私は思わず笑ってしまいました。

そして、今、無視されています。やっぱりねと言う感じで、本当に滑稽です。こんなやつが上司て、本当に辞めれて良かったです。

 そして……こんなにバタバタしているのに、韓国旅行には行きました。

自分でも笑ってしまいました。「いや、今この状況で海外行ける余裕あるんかい」と。

でも、行ってよかったです。美味しいものを食べて、カフェに行って、景色を見て、疲れたら休む。頑張って回る旅ではなく、自分のペースで過ごす旅。それが思った以上に忙しい引き継ぎ業務から、回復に効きました。

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こうして振り返ると、私はひとつの結論にたどり着きました。

人は基本的に、自分のことで精一杯です。それは厳しいのではなく、当たり前です。

だから私は、誰かの評価や反応を待ちすぎないことにしました。

私は私の意志で、自分がやりたいことを決めていく。

もう「どう思われるか」ではなく、「どう生きたいか」で進む。

そして最後に、いまの私がいちばん大切にしたい考えです。

「やりたいことリスト100」を作るのは素晴らしい。けれど、100を“考えるだけ”では後悔が残る。

夢を叶えるには、想像以上に時間が要ります。そして膨大なお金も要ります。

だから私は、理想をこう置き直しました。

100を眺めて安心するのではなく、1位からやっていく。当たり前なのですが、後悔しないように1位からやっていくのです。

私の1位。南極に行く…。え?南極近くは海が荒れまくり?船酔いがえげつない?へー…、やっぱり5位位からから始めようかな…

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 家から徒歩圏内に、大好きなブルーボトルコーヒーができていました。いつも神戸三宮まで行って飲んでいたのですが。FIREできたら通う予定です。