最近、人間関係を少しずつ整理している。
冷たい人間になりたいわけではない。誰とも関わりたくないわけでもない。ただ、自分を大事にしてくれない人にまで、自分の時間を差し出すのは、もうやめようと思った。
昔から、人の話を聞いてしまうところがあった。困っているのかなと思うと、つい聞いてしまう。多少しんどくても、自分が聞けば済むならいいかと思っていた。
でも、退職してからもそんなことを続けていると、ふと分からなくなる時がある。
私は、何から自由になったのだろう。
仕事を辞めたはずなのに、夜遅くに電話が鳴る。何事かと思って出てみると、お酒を飲みながら、グラスを鳴らして、ずっと職場や愚痴を言い続けてる。最初のうちは、大変なのかなと思って聞いていた。けれど何度も続くと、さすがに思う。
なんで、ここまでせなあかんのやろう。
会えば会ったで、どこか偉そうにする。それなのに、しんどい時だけこちらに話を聞かせようとする。何度も「もう遅いので切りますよ」と言っても、なかなか切らない。
ある時、思い切ってLINEで夜間の電話は迷惑だと伝えた。
今までなら言えなかったと思う。相手を傷つけるかなとか、怒らせるかなとか、そんなことばかり考えていた。でも、実際には、こちらがずっと我慢していただけだった。
その人は一度、「迷惑だったんですね。もう二度としません」と返ってきたけれど、すぐまた夜間に電話がかかってきた。
なので、先日ブロックした。
少し前の私なら、罪悪感でしばらく落ち込んでいたと思う。でも、本当に楽になった。もうあの人から電話が来るかもしれないと気にしなくていい。
その人の問題は、私の問題ではない。
そこに気づくまで、ずいぶん時間がかかった。
ただ、人間関係を整理するというのは、嫌な人を切ることだけではない。むしろ難しいのは、悪い人ではない相手との距離の取り方なのだと思う。
前のブログにも書いたが、看護師の知人から連絡があった。
その人は、昔から華やかな人だった。綺麗で、愛嬌があって、明るくて、少し小悪魔的で、どこへ行っても人に好かれるような人だった。
久しぶりに連絡が来た時、私は勝手に、何か明るい報告でもあるのかなと思った。
でも、そうではなかった。
乳がんで、右乳房の一部を失うような手術だったと聞いた。
医療の知識はある。治療のことも頭では分かっている。でも気持ちがついていかない。会ったら泣いてしまうかもしれない。迷惑をかけてしまうかもしれない。そんな言葉が返ってきた。
私は長く、人の話を聞く仕事をしてきた。相談を受けることも、気持ちを受け止めることも、それなりにしてきたつもりだった。
でも、こういう時に気の利いた言葉なんて簡単には出てこない。
大丈夫とは言えない。頑張っても違う。分かるなんて、もっと違う。
どうしてもと言われ、先週会った。
久しぶりに見るその人は、やはり綺麗だった。明るく振る舞っていたけれど、その明るさの奥に、どうしようもない不安があるようにも見えた。
その人は、「あなたが一番理解してくれた存在だった」と言ってくれた。
ありがたい言葉だった。うれしくもあった。けれど同時に、胸の奥が少し重くなった。
私の話を聞いてほしいと言われた。今度2人で旅行にも行こうと言われた。
そこには、私と親しくなりたいという気持ちも、たしかにあったと思う。それは分かった。けれど、それ以上に、今の自分を支えてほしいという気持ちが見えた気がした。
不安を聞いてほしい。寂しさを受け止めてほしい。今の自分を、どこかで支えてほしい。
もちろん、本人がそんなつもりで言っていたのかは分からない。私の受け取り方かもしれない。
でも、私は長く人の話を聞く仕事をしてきた。相手の言葉の奥にあるものを、なんとなく感じ取ってしまうことがある。
本当は、分からないふりをしたい時もある。気づかなければ、もっと楽だったのにと思うこともある。
でも、分かってしまった。
この人は、今とても寂しいのだと思う。そして私は、その寂しさを支える役として見られているのかもしれない。
そう感じた。
その人が悪いわけではない。むしろ、いい人だと思う。魅力もある。昔から仲もよかった。
正直に言えば、昔の自分なら心が揺れたかもしれない。もったいないと思わなかったと言えば嘘になる。これは冗談半分だけれど、半分は本音かもしれない。
それでも、断った。
LINEなら、できる範囲で返す。でも、旅行には行けないし、そのような関係にはなれない。
そう伝えた。
誰かが悪いわけではない。ただ、差し出された手を、私は握らなかった。相手の寂しさが見えた気がしたし、自分の中にも少しだけ痛みがあった。
でも、ここで握ってしまったら、私はまた昔の自分に戻る気がした。
困っている人を見たら、全部受け止める。自分を理解してくれると言われたら、期待に応えようとする。必要とされている気がして、つい相手の人生に入り込みすぎる。
そういう自分を、もう終わらせたかった。
一人の人を支えるというのは、きれいごとではない。不安を聞く。悲しみを受け止める。寂しさに付き合う。相手の気持ちが沈めば、こちらの一日も一緒に沈む。
それを私は、もう簡単に引き受けたくなかった。
親切にすることと、相手の人生を背負うことは違う。
いい人でも、支えきれない関係はある。魅力的な人でも、自分の生活を壊してまで近づかなくていい。
かわいそうだから。昔から仲がよかったから。自分を分かってくれると言ってくれたから。
それだけで自分の時間や心を差し出してしまうと、また、あの断れなかった頃の自分に戻ってしまう。
私はもう、誰かの感情を全部受け止めるために生きているわけではない。
大事にしたい人はいる。守りたい生活もある。今の自分が選んだ人間関係もある。
だから、断った。
その帰り道、少しだけ胸が痛かった。
でも、後悔とは少し違っていた。
たぶん私は、誰かを拒んだのではない。やっと、自分の側に立ったのだと思う。
親切の安売りをやめる。
それは、嫌な人を遠ざけることだけではない。いい人に対しても、少しだけ線を引くことなのだと思う。
その線の向こうで、誰かが少し寂しそうにしていても、私はもう、自分の人生まで差し出さない。
その代わり、これからは大事にしたい人を、ちゃんと大事にしたい。
気を使って疲れる時間を減らして、会いたい人に会う。行きたい場所へ行く。美味しいものを食べる。何でもない一日を、ちゃんと自分のものにする。
誰かの機嫌を気にしていた時間が減ると、思っていたより心に余白ができる。
その余白に、これから少しずつ、自分の好きなものを入れていこうと思う。
かなり辛い決断だけど。

最近は、夜の散歩に行くようにしています。
少し賑やかな道を外れると、心斎橋方面も静かなんです。
ぼーっと暗闇の街を歩くと、落ち着くことも多いですよ。







