昨日の仕事帰り道、まだ明るい太陽を見ていると、不意に心の奥底から湧き上がる感情がありました。
「一旗あげたい。輝きたいな」
なぜそんな言葉が急に浮かんだのか、自分でもわかりません。絞り出た辛い言葉ではなく、穏やかに前向きな感じで浮かんできたのです。
今の私は、ようやく少しずつ“日常”を取り戻しはじめ、パニックの波に飲まれずに済む時間が増えてきました。この思いは、余裕がでてきたと言う事でしょうか…。
旗を揚げるって、何だろうか。
昇る旗は、いつか降ろす日がきます。
輝くことはできても、輝けなくなる日がきて、また辛い思いをするかもしれません。
でも、自分ならなにかできる。逆転がある。無意味な人生にしたくない。何か意味を残したい、痕跡を残したい。うぬぼれか、焦りか。
昨夜寝る前に、自分の死ぬ過程を考えてみた。
病院で横になり、淡々と医療行為を受けている自分。
認知症になっていたら訳もわからなくて良いが、体だけが不自由でであったら…。
歳を重ねたからと、死ぬのが怖くならないはずはない。ベットの上で「怖い死にたくない」と必死に訴えても、医療関係者皆からはあきらめられた目で見らる。2度と回復しない自分。死ぬことを受け入れる事もなく、いつかわからない命が尽きるまで恐怖と戦うのかと思うと、怖くて怖くて。
私は綺麗に燃え尽きたい。満足で一杯の笑顔で。
できれば、美しく。
そう考えると、「もう一旗あげたい」という衝動は、決して欲望や野心だけではなく、「生ききりたい」という願いに近いのだと思います。
「自分の人生を、自分でつかんだ」と言える瞬間を、味わいたい。
それが何なのか、具体的にはわかりません。何にたいして一旗あげたいのか。この祝日でゆっくり考えたいと思います。
皆さんはそんな事を考えることないですか?